ICE 20周年 [ドイツ鉄道 列車]
1991年6月2日5時53分、ICEの営業初列車がHamburg-Altonaを発車した。そして今日、ICEは20周年という記念の日を迎える。

Hamburg - Frankfurt (M) – Münchenの一路線でスタートしたICEのネットワークは、現在は旧東ドイツ圏も含めてドイツ全土をカバーし、さらにスイス・オーストリア・オランダ・ベルギー・フランス・デンマークといった周辺各国まで広げている。DBの公式ページによると、現在ICEは1日21万人以上が利用しており、ドイツ鉄道の長距離輸送の60%を担っている。そして、年間利用客数も1992年800万人から、2010年7800万人へと、10倍近く増加した。この20年間でICEは、名実ともにドイツ鉄道の中心的な存在に成長したのである。

ICEの存在を初めて知ったのは1980年台の終わりである。日本の鉄道雑誌で見たドイツに登場した新しい高速列車は、真っ白な美しい車体を持ち、新幹線ともTGVとも異なる個性を持っていた。幼少時を過ごしたドイツにこんな列車が走るのか、と胸を躍らせたのを今でも記憶している。
そして、1991年の開業。新幹線に27年、TGVには10年遅れて走り始めた列車は、ずんぐりとしていてスマートではなかったが、何とも言えない愛嬌があった。そして、工夫の凝らされた車内、さらに天井の高い食堂車。私にとって、憧れのドイツが、そのままICEに重なったのである。しかし、ドイツに行ってICEに乗りたいと強く思ったものの、当時中学生の私にはドイツに行く機会などなかなか訪れるものではない。そうこうしているうちに、高校生になり、浪人をし、と月日は過ぎていったが、ドイツ鉄道への興味は増すばかりであった。

1996年に雑誌で見た、新型ICEのモックアップの強烈な印象も忘れがたい。洗練された美しい車体、そして運転室後部に設けられた展望ラウンジ。以来、この新型ICEの登場を心待ちにした。
1998年に友人たちとRiGを開設してからは、ドイツ鉄道への興味と憧れはますます高まった。しかし、次に眼にすることになったのは、大惨事であった。1999年6月3日夜、ニュースを見ていると衝撃的な映像が眼に飛び込んできた。ICEが転覆し、無残にも押しつぶされていた。あのICEが・・・・。そう、Eschede事故である。犠牲者101人という重い現実。ICEは緊急検査のため、一時運用から外され、復帰しても短縮編成を組むなど、暗い時期が続いた。

重苦しい空気の中、一筋の光のようにデビューした新型、それこそがICE-T、そしてICE 3である。特に300km/h走行が可能なICE 3の登場は楽しみで、1999年末は毎日のようにWeb上でICE 3の写真を探し回ったのを覚えている。流麗で美しい外観、そして如何にも高品質な車内のデザインに強い憧れを抱いたのであった。2002年にはNBS Köln-Rhein/Mainが開業、ICE 3は300km/h運転を開始し、開業後11年目でICEは最高速度でようやく世界最速に追いついたのであった。

ドイツを訪れる機会がようやく訪れたのは2005年3月のことであった。20年ぶりのフランクフルト空港に降り立ち、空港駅ホームに降り立つと、程なくICE 3が入線してきた。その瞬間、ICE 3は私にとっては他の鉄道車両とは全く異なる特別な存在になったのである。

ICEはその後も進化を続けている。気動車バージョンのICE-TDも登場する一方で、高速新線の整備も進み、年々ネットワークも拡充されていった。その中でも、2007年のパリ直通は特に印象的な出来事であった。
もちろん、良い面ばかりではない。Eschede事故以後も、ICE-TDがトラブルが続発して一時運用を完全に外れたり、最近の空調や車軸問題など、トラブルも少なくなかった。しかし、そんな中でもICEがここまで成長してきたのは感慨深い。

幸いにも2005年以降、何度か渡独する機会に恵まれ、ICEは非常に馴染み深い存在になった。開業当時から活躍し、長い編成で未だに圧倒的な貫禄が漂うICE 1、目立たないが主要路線で柔軟な活躍をするICE 2、準幹線をカバーするICE-T、そしてドイツ鉄道のフラッグシップにふさわしいICE 3、それぞれに魅力がある。そして、これらの車両がこれからも長く活躍することを願う。

来年には新型の407形Velaro Dがデビューする。先頃、ICE 1やICE 2の後継車となるICxも発注された。新しい時代は確実に近づいている。次の10年、そして20年、ICEはどのように変貌するのであろうか。興味は尽きないのである。

Hamburg - Frankfurt (M) – Münchenの一路線でスタートしたICEのネットワークは、現在は旧東ドイツ圏も含めてドイツ全土をカバーし、さらにスイス・オーストリア・オランダ・ベルギー・フランス・デンマークといった周辺各国まで広げている。DBの公式ページによると、現在ICEは1日21万人以上が利用しており、ドイツ鉄道の長距離輸送の60%を担っている。そして、年間利用客数も1992年800万人から、2010年7800万人へと、10倍近く増加した。この20年間でICEは、名実ともにドイツ鉄道の中心的な存在に成長したのである。

ICEの存在を初めて知ったのは1980年台の終わりである。日本の鉄道雑誌で見たドイツに登場した新しい高速列車は、真っ白な美しい車体を持ち、新幹線ともTGVとも異なる個性を持っていた。幼少時を過ごしたドイツにこんな列車が走るのか、と胸を躍らせたのを今でも記憶している。
そして、1991年の開業。新幹線に27年、TGVには10年遅れて走り始めた列車は、ずんぐりとしていてスマートではなかったが、何とも言えない愛嬌があった。そして、工夫の凝らされた車内、さらに天井の高い食堂車。私にとって、憧れのドイツが、そのままICEに重なったのである。しかし、ドイツに行ってICEに乗りたいと強く思ったものの、当時中学生の私にはドイツに行く機会などなかなか訪れるものではない。そうこうしているうちに、高校生になり、浪人をし、と月日は過ぎていったが、ドイツ鉄道への興味は増すばかりであった。

1996年に雑誌で見た、新型ICEのモックアップの強烈な印象も忘れがたい。洗練された美しい車体、そして運転室後部に設けられた展望ラウンジ。以来、この新型ICEの登場を心待ちにした。
1998年に友人たちとRiGを開設してからは、ドイツ鉄道への興味と憧れはますます高まった。しかし、次に眼にすることになったのは、大惨事であった。1999年6月3日夜、ニュースを見ていると衝撃的な映像が眼に飛び込んできた。ICEが転覆し、無残にも押しつぶされていた。あのICEが・・・・。そう、Eschede事故である。犠牲者101人という重い現実。ICEは緊急検査のため、一時運用から外され、復帰しても短縮編成を組むなど、暗い時期が続いた。

重苦しい空気の中、一筋の光のようにデビューした新型、それこそがICE-T、そしてICE 3である。特に300km/h走行が可能なICE 3の登場は楽しみで、1999年末は毎日のようにWeb上でICE 3の写真を探し回ったのを覚えている。流麗で美しい外観、そして如何にも高品質な車内のデザインに強い憧れを抱いたのであった。2002年にはNBS Köln-Rhein/Mainが開業、ICE 3は300km/h運転を開始し、開業後11年目でICEは最高速度でようやく世界最速に追いついたのであった。

ドイツを訪れる機会がようやく訪れたのは2005年3月のことであった。20年ぶりのフランクフルト空港に降り立ち、空港駅ホームに降り立つと、程なくICE 3が入線してきた。その瞬間、ICE 3は私にとっては他の鉄道車両とは全く異なる特別な存在になったのである。

ICEはその後も進化を続けている。気動車バージョンのICE-TDも登場する一方で、高速新線の整備も進み、年々ネットワークも拡充されていった。その中でも、2007年のパリ直通は特に印象的な出来事であった。
もちろん、良い面ばかりではない。Eschede事故以後も、ICE-TDがトラブルが続発して一時運用を完全に外れたり、最近の空調や車軸問題など、トラブルも少なくなかった。しかし、そんな中でもICEがここまで成長してきたのは感慨深い。

幸いにも2005年以降、何度か渡独する機会に恵まれ、ICEは非常に馴染み深い存在になった。開業当時から活躍し、長い編成で未だに圧倒的な貫禄が漂うICE 1、目立たないが主要路線で柔軟な活躍をするICE 2、準幹線をカバーするICE-T、そしてドイツ鉄道のフラッグシップにふさわしいICE 3、それぞれに魅力がある。そして、これらの車両がこれからも長く活躍することを願う。

来年には新型の407形Velaro Dがデビューする。先頃、ICE 1やICE 2の後継車となるICxも発注された。新しい時代は確実に近づいている。次の10年、そして20年、ICEはどのように変貌するのであろうか。興味は尽きないのである。
1980年代のInterCity (2) [ドイツ鉄道 列車]
1980年代のICを紹介するシリーズの2回目は、ICの牽引機の変遷についてまとめたい。1971年の運転開始以来、ICの大半は103.1形が牽引する1等客車編成で運転されたが、一部のICには601/602形 (VT11.5)や403形も使用されていた。しかし、1979年夏ダイヤで、IC ‘79のコンセプトに基づき、ICの全列車で2等車連結が行われることとなり、1等車のみで構成された601/602形、403形はIC運用から撤退した。
IC ‘79により、ICは各路線とも2時間間隔から1時間間隔への運転となり、152列車へと大増発された。増発に対応するため、103.1形はオーストリアでの運用を取りやめられ、極力ドイツ国内で運用されることとなった。さらに、Bw Frankfurt (M) 1と、Bw Hambueg-Eidelstadt所属の103.1形は路線を分けるのではなく、双方の機関区所属の103.1形ともIC全路線を分け合う形で一体的な運用が組まれ、より効率的なものとされたが、それでも144両の103.1形で全てのICの牽引を賄うことは不可能であった。そこで、200 km/h走行を行わないICについては他形式も用いられることとなった。IC-Linie 4のうち、Hannover – Wuerzburg – Ingolstadt – MuenchenのIC 680-685 / 688 / 689 については111形の牽引とされた。ただし、Augsburg – Muenchenには200 km/h走行区間があるため、Linie 4のうち、Wuerzburg – Augsburg – Muechen経由で運転される列車については、引き続き103.1形が牽引した。この他、Frankfurt (M) – Wiesbadenは110.1形の牽引となり、またICの一部が延長運転するMuenchen – Salzburg、Muenchen – Mittenwaldについては111形またはOeBBの1042形/1044形が担当することとなった。このように、ICの一部に他形式が使用されるようになったにも関わらず、103.1形は予備機や他の旅客列車に使用される機関車を除いても、1日114両がICに使用された。

ICにも使用された111形 (写真提供: Akiraさん)
IC ‘79に伴う変化として、2等車の連結による牽引重量の増加も挙げられる。ICは通常、1等車3両、食堂車1両、2等車7両で構成され、牽引重量は500tであった。103形は元々400t列車で平地での200km/h走行が想定されており、この牽引重量は想定を上回るものであったが、実際には600tにおよぶ列車でも200km/hを行うこととなった。103.1形の1日の平均走行距離は1.330km、最長仕業は2.144km (Bw Hamburg-Eidelstadt所属機の仕業、Hannover – Nuernberg – Hamburg-Eidelstadt – Koeln – Hamburg Hbf)に及び、103.1形は牽引重量の増加に加え、一ヶ月で30.000~40.000km走行する過酷な運用をこなすこととなったのであった。
1981/1982年冬ダイヤからは三相誘導電動機を採用した新型電機120形の試作車のうち、120 005が試験的に103.1形の運用に組み込まれた。120 005は日曜・月曜・木曜・金曜のIC 671 (Mannheim – Basel Badbf)とD200を牽引した。1983年夏ダイヤからは120形の試作車全車 (120 001-005)が運用に就いた。120形はBw Hamburgに配属され、2運用が組まれた。120形が使用されたのはMuenchen – Nuernberg –Frankfurt/Mで、具体的にはIC 181 / 521 / 522 / 524 / 563 / 580 / 624 / 685 / D762 / 933のMuecnhen – Nuernberg間、IC 560のMuenchen – Frankfurt/Mを担当した。
ICは軍関係者の利用が増えるため週末の混雑が激しく、1982年夏ダイヤでは、週末の未運転されるICが設定された。週末運転のIC牽引用に、Hamburg所属の103.1形について週末に4運用が組まれた。1982/83年ダイヤ、1983/84年ダイヤでは103.1形の1日に121両 (Bw Frakfurt 1所属: 60両、Bw Hamburg-Eidelstadt所属: 61両)が運用されることとなり、103.1形の歴史の中でも最も多い運用数であった。1運用あたりの平均走行距離は1.358km、最長仕業は1.862km (Koeln – Hamburg-Altona – Stuttgart - Dortmund)であった。

103形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)
1985年のダイヤ改正では、IC ‘85のコンセプトの元、ICの路線網が再編され、大増発が行われた。103形の運用は極力ICに集中され、Linie 4を含め、大半の路線は103形が再び担当することとなった。ただし、Linie 4aだけは112形の牽引とされた。IC以外の運用げ減少したことで、Bw Frankfurt 1所属機は54日間の運用、Bw Hamburg-Eidelstadt所属機は53日間の運用となった週末のICの運用なども存在した。

103形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)
1987/88年冬ダイヤからは120形の量産機が登場、Linie 4 Hamburg – Muenchen間に投入された。1988年5月29日には高速新線NBS Hannover – Wuerzburgが開業すると、Linie 4は高速新線経由の運行へ切り替えられた。当時、103形は高速新線に対応しておらず、120形が活躍することとなった。

高速新線を走る120形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)
また、このダイヤ改正では、Linie 1がHamburg – Koblenz - Wiesbaden – Frankfurt/Mから、Hamburg – Koblenz – Mainz – Stuttgartに変更されたのに伴い、WiesbadenへのICサービスを維持するため141形とSilebrlinge客車2両を改装した接続用IC列車がWiesbaden – Mainzに登場した。120形の登場で、103形のIC運用は減少したが、1988年9月にInterRegioの運転が開始され、103形もIRに投入されるようになった。しかし、IC牽引の中心となるはずであった120形はトラブルが続出したこともあり、わずか60両で増備が打ち切られ、103形のICでの活躍は1990年代も続くこととなった。103形がIC牽引の中心的な存在から離れたのは、101形が登場した1997年のことであった。
IC ‘79により、ICは各路線とも2時間間隔から1時間間隔への運転となり、152列車へと大増発された。増発に対応するため、103.1形はオーストリアでの運用を取りやめられ、極力ドイツ国内で運用されることとなった。さらに、Bw Frankfurt (M) 1と、Bw Hambueg-Eidelstadt所属の103.1形は路線を分けるのではなく、双方の機関区所属の103.1形ともIC全路線を分け合う形で一体的な運用が組まれ、より効率的なものとされたが、それでも144両の103.1形で全てのICの牽引を賄うことは不可能であった。そこで、200 km/h走行を行わないICについては他形式も用いられることとなった。IC-Linie 4のうち、Hannover – Wuerzburg – Ingolstadt – MuenchenのIC 680-685 / 688 / 689 については111形の牽引とされた。ただし、Augsburg – Muenchenには200 km/h走行区間があるため、Linie 4のうち、Wuerzburg – Augsburg – Muechen経由で運転される列車については、引き続き103.1形が牽引した。この他、Frankfurt (M) – Wiesbadenは110.1形の牽引となり、またICの一部が延長運転するMuenchen – Salzburg、Muenchen – Mittenwaldについては111形またはOeBBの1042形/1044形が担当することとなった。このように、ICの一部に他形式が使用されるようになったにも関わらず、103.1形は予備機や他の旅客列車に使用される機関車を除いても、1日114両がICに使用された。

ICにも使用された111形 (写真提供: Akiraさん)
IC ‘79に伴う変化として、2等車の連結による牽引重量の増加も挙げられる。ICは通常、1等車3両、食堂車1両、2等車7両で構成され、牽引重量は500tであった。103形は元々400t列車で平地での200km/h走行が想定されており、この牽引重量は想定を上回るものであったが、実際には600tにおよぶ列車でも200km/hを行うこととなった。103.1形の1日の平均走行距離は1.330km、最長仕業は2.144km (Bw Hamburg-Eidelstadt所属機の仕業、Hannover – Nuernberg – Hamburg-Eidelstadt – Koeln – Hamburg Hbf)に及び、103.1形は牽引重量の増加に加え、一ヶ月で30.000~40.000km走行する過酷な運用をこなすこととなったのであった。
1981/1982年冬ダイヤからは三相誘導電動機を採用した新型電機120形の試作車のうち、120 005が試験的に103.1形の運用に組み込まれた。120 005は日曜・月曜・木曜・金曜のIC 671 (Mannheim – Basel Badbf)とD200を牽引した。1983年夏ダイヤからは120形の試作車全車 (120 001-005)が運用に就いた。120形はBw Hamburgに配属され、2運用が組まれた。120形が使用されたのはMuenchen – Nuernberg –Frankfurt/Mで、具体的にはIC 181 / 521 / 522 / 524 / 563 / 580 / 624 / 685 / D762 / 933のMuecnhen – Nuernberg間、IC 560のMuenchen – Frankfurt/Mを担当した。
ICは軍関係者の利用が増えるため週末の混雑が激しく、1982年夏ダイヤでは、週末の未運転されるICが設定された。週末運転のIC牽引用に、Hamburg所属の103.1形について週末に4運用が組まれた。1982/83年ダイヤ、1983/84年ダイヤでは103.1形の1日に121両 (Bw Frakfurt 1所属: 60両、Bw Hamburg-Eidelstadt所属: 61両)が運用されることとなり、103.1形の歴史の中でも最も多い運用数であった。1運用あたりの平均走行距離は1.358km、最長仕業は1.862km (Koeln – Hamburg-Altona – Stuttgart - Dortmund)であった。

103形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)
1985年のダイヤ改正では、IC ‘85のコンセプトの元、ICの路線網が再編され、大増発が行われた。103形の運用は極力ICに集中され、Linie 4を含め、大半の路線は103形が再び担当することとなった。ただし、Linie 4aだけは112形の牽引とされた。IC以外の運用げ減少したことで、Bw Frankfurt 1所属機は54日間の運用、Bw Hamburg-Eidelstadt所属機は53日間の運用となった週末のICの運用なども存在した。

103形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)
1987/88年冬ダイヤからは120形の量産機が登場、Linie 4 Hamburg – Muenchen間に投入された。1988年5月29日には高速新線NBS Hannover – Wuerzburgが開業すると、Linie 4は高速新線経由の運行へ切り替えられた。当時、103形は高速新線に対応しておらず、120形が活躍することとなった。

高速新線を走る120形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)
また、このダイヤ改正では、Linie 1がHamburg – Koblenz - Wiesbaden – Frankfurt/Mから、Hamburg – Koblenz – Mainz – Stuttgartに変更されたのに伴い、WiesbadenへのICサービスを維持するため141形とSilebrlinge客車2両を改装した接続用IC列車がWiesbaden – Mainzに登場した。120形の登場で、103形のIC運用は減少したが、1988年9月にInterRegioの運転が開始され、103形もIRに投入されるようになった。しかし、IC牽引の中心となるはずであった120形はトラブルが続出したこともあり、わずか60両で増備が打ち切られ、103形のICでの活躍は1990年代も続くこととなった。103形がIC牽引の中心的な存在から離れたのは、101形が登場した1997年のことであった。
1980年代のInterCity (1) [ドイツ鉄道 列車]
私がドイツに住んだ1980年代のドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄DB)を象徴する存在と言えば、103形電気機関車の牽引するInterCityであろう。私にとっても極めて印象深い全盛時代のICを、数回に分けて取り上げようと思う。
1971年に運転が開始されたICは、当初は4路線が設定された。
(Linie 1)
Hamburg – Bremen – Essen – Koeln – Mannheim – Stuttgart – Augsburg - Muenchen
(Linie 2)
Hannover – Wuppertal – Koeln – Wiesbaden – Frankfurt/M – Wuerzburg – Nuernberg – Muenchen
(Linie 3)
Hamburg – Hannover – Goettingen – Frankfurt/M – Mannheim – Karlsruhe – Basel
(Linie 4)
Bremen – Hannover – Goettingen – Wuerzburg – Muenchen
このネットワークにはICとだけでなく、TEEも組み込まれ、34列車がIC、14列車がTEEであった。当時はICはTEEと同様、1等車のみで構成され、各路線とも2時間間隔の運転であった。
ICの運転開始により長距離利用客は増加したが、激しくなる一方の航空機との競争に対応するため、DBは高速化とサービスの多様化を図った。路線整備の遅れや、1972年にRheinweilerで発生した103形の脱線転覆事故の影響で、ICは長らく最高160km/hに留まっていたが、1977年夏ダイヤからMuenchen – Augsburg間で最高200km/h運転が開始されたのを皮切りに、翌年にはMuenchen – Donauwierth、Bremen – Hamburg、Uelzen – Hannoverへと200km/h運転区間が拡大された。さらに1976年からはLinie 4で試験的に2等車の連結が開始され、1978年夏ダイヤではICのうち46本のICに対し2等車が連結された。また、Linie 1は部分的に1時間間隔へと増発された。
このようなICネットワークの再編は”IC 79” プロジェクトと呼ばれ、1979年5月27日からの夏ダイヤで完成をみた。”IC 79” の”Jede Stunde, jede Klasse (Every hour, every class)”というスローガンの通り、1979年夏ダイヤではICの全列車に対し2等車が連結され、各路線とも運転間隔が1時間間隔へ短縮され、大幅な増発を実現したのである。さらに、HannoverでLinie 3/4、DortmundとKoelnでLinie 1/2、MannheimでLinie 1/3、WuerzburgでLinie 2/4を同一ホームで接続させ、3,115kmに達するICネットワークの完成度が飛躍的に高まった。

103 185-5 mit IC 109 "Rheinpfeil" (Essen Hbf, 1981)
1980年以降も、Brakwede – Hamm (Westf)、Lengerich – Sudmuehle、Mertingen – Donauwoerth、Bremen – Osnabrueckで200km/h運転が開始され、200km/h運転区間は282.7kmに達した。また、1982年には”IC-Kurierdienst”と呼ばれる、ICを利用した高速荷物配送サービスが開始された。
ドイツの鉄道が150周年を迎えた1985年には、DBは”IC 85”というコンセプトの元に、ICネットワークを再編した。
(Linie 1)
Hamburg – Bremen – Essen – Koeln – Koblenz – Wiesbaden – Frankfurt/M
(Linie 2)
Hannover – Essen – Koeln – Mainz - Mannheim – Heideberg – Stuttgart – Muenchen
(Linie 3)
Hamburg – Hannover – Goettingen – Frankfurt/M – Karlsruhe – Basel
(Linie 4)
Hamburg – Hannover – Goettingen – Wuerzburg – Augsburg – Muenchen
(Linie 4a)
Oldenburg / Bremerhaven – Bremen – Hannover
(Linie 5)
Dortmund – Wuppertal – Koeln – Mainz – Frankfurt Flughafen – Frankfurt/M
特徴的なのは、Linie 5がFrankfurt空港に停車することである。長距離列車の空港直通は好評で、現在に至るまで発展を続けている。
このダイヤ改正で、ICは161列車から219列車へ増えた。200km/h走行区間も450kmに拡大したことで大幅なスピードアップが図られ、平均速度は100km/hから108km/hに上昇した。1等車では飲み物や軽食の配達サービスも開始され、車内サービスの充実も図られた。1985年のIC利用客数は前年の11.5%増となり、1979年と比較すると、750万人から1985年は2240万人へと約3倍に増える成果を上げた。
1987年5月30日をもって、最後までTEEとして残っていた”Rheingold”が廃止となり、代わりにICの国際列車についてはスイス・オーストリアと結ぶ国際列車についてはEuroCityと呼ばれることとなった。
1988年5月29日にはドイツで最初の高速新線、NBS Hannover – Wurzburgが開業し、Linie 4はこの高速新線で200km/h運転を開始した。この路線には、120形量産車が投入された。9月25日からは、ICの運転されない区間でInterRegioの運転が開始され、ICネットワークを補完した。
1991年6月、ICEが開業し、DBの長距離旅客輸送に大きな変革がもたらされた。以降、ICEネットワークの拡大とともに、ICは長距離輸送の中心の座から徐々に下りることになるのである。
1982年に製作されたICのプロモーションビデオを以下で視聴できる。
http://www.youtube.com/watch?v=HyVmPY2k3rc
1971年に運転が開始されたICは、当初は4路線が設定された。
(Linie 1)
Hamburg – Bremen – Essen – Koeln – Mannheim – Stuttgart – Augsburg - Muenchen
(Linie 2)
Hannover – Wuppertal – Koeln – Wiesbaden – Frankfurt/M – Wuerzburg – Nuernberg – Muenchen
(Linie 3)
Hamburg – Hannover – Goettingen – Frankfurt/M – Mannheim – Karlsruhe – Basel
(Linie 4)
Bremen – Hannover – Goettingen – Wuerzburg – Muenchen
このネットワークにはICとだけでなく、TEEも組み込まれ、34列車がIC、14列車がTEEであった。当時はICはTEEと同様、1等車のみで構成され、各路線とも2時間間隔の運転であった。
ICの運転開始により長距離利用客は増加したが、激しくなる一方の航空機との競争に対応するため、DBは高速化とサービスの多様化を図った。路線整備の遅れや、1972年にRheinweilerで発生した103形の脱線転覆事故の影響で、ICは長らく最高160km/hに留まっていたが、1977年夏ダイヤからMuenchen – Augsburg間で最高200km/h運転が開始されたのを皮切りに、翌年にはMuenchen – Donauwierth、Bremen – Hamburg、Uelzen – Hannoverへと200km/h運転区間が拡大された。さらに1976年からはLinie 4で試験的に2等車の連結が開始され、1978年夏ダイヤではICのうち46本のICに対し2等車が連結された。また、Linie 1は部分的に1時間間隔へと増発された。
このようなICネットワークの再編は”IC 79” プロジェクトと呼ばれ、1979年5月27日からの夏ダイヤで完成をみた。”IC 79” の”Jede Stunde, jede Klasse (Every hour, every class)”というスローガンの通り、1979年夏ダイヤではICの全列車に対し2等車が連結され、各路線とも運転間隔が1時間間隔へ短縮され、大幅な増発を実現したのである。さらに、HannoverでLinie 3/4、DortmundとKoelnでLinie 1/2、MannheimでLinie 1/3、WuerzburgでLinie 2/4を同一ホームで接続させ、3,115kmに達するICネットワークの完成度が飛躍的に高まった。

103 185-5 mit IC 109 "Rheinpfeil" (Essen Hbf, 1981)
1980年以降も、Brakwede – Hamm (Westf)、Lengerich – Sudmuehle、Mertingen – Donauwoerth、Bremen – Osnabrueckで200km/h運転が開始され、200km/h運転区間は282.7kmに達した。また、1982年には”IC-Kurierdienst”と呼ばれる、ICを利用した高速荷物配送サービスが開始された。
ドイツの鉄道が150周年を迎えた1985年には、DBは”IC 85”というコンセプトの元に、ICネットワークを再編した。
(Linie 1)
Hamburg – Bremen – Essen – Koeln – Koblenz – Wiesbaden – Frankfurt/M
(Linie 2)
Hannover – Essen – Koeln – Mainz - Mannheim – Heideberg – Stuttgart – Muenchen
(Linie 3)
Hamburg – Hannover – Goettingen – Frankfurt/M – Karlsruhe – Basel
(Linie 4)
Hamburg – Hannover – Goettingen – Wuerzburg – Augsburg – Muenchen
(Linie 4a)
Oldenburg / Bremerhaven – Bremen – Hannover
(Linie 5)
Dortmund – Wuppertal – Koeln – Mainz – Frankfurt Flughafen – Frankfurt/M
特徴的なのは、Linie 5がFrankfurt空港に停車することである。長距離列車の空港直通は好評で、現在に至るまで発展を続けている。
このダイヤ改正で、ICは161列車から219列車へ増えた。200km/h走行区間も450kmに拡大したことで大幅なスピードアップが図られ、平均速度は100km/hから108km/hに上昇した。1等車では飲み物や軽食の配達サービスも開始され、車内サービスの充実も図られた。1985年のIC利用客数は前年の11.5%増となり、1979年と比較すると、750万人から1985年は2240万人へと約3倍に増える成果を上げた。
1987年5月30日をもって、最後までTEEとして残っていた”Rheingold”が廃止となり、代わりにICの国際列車についてはスイス・オーストリアと結ぶ国際列車についてはEuroCityと呼ばれることとなった。
1988年5月29日にはドイツで最初の高速新線、NBS Hannover – Wurzburgが開業し、Linie 4はこの高速新線で200km/h運転を開始した。この路線には、120形量産車が投入された。9月25日からは、ICの運転されない区間でInterRegioの運転が開始され、ICネットワークを補完した。
1991年6月、ICEが開業し、DBの長距離旅客輸送に大きな変革がもたらされた。以降、ICEネットワークの拡大とともに、ICは長距離輸送の中心の座から徐々に下りることになるのである。
1982年に製作されたICのプロモーションビデオを以下で視聴できる。
http://www.youtube.com/watch?v=HyVmPY2k3rc
Amsterdam行 ICE International [ドイツ鉄道 列車]
今年は日本におけるオランダ年と位置づけられ、フェルメール展をはじめ、多くのイベントが開催されている。オランダは何とも不思議な国である。面積だけを考えれば極めて小さい国なのに、17世紀には海上覇権を通じて世界に名を馳せた。一方で、西洋絵画の歴史の中でも最も重要な存在であるレンブラント、フェルメール、ゴッホといった画家を次々と生んだのもオランダである。現代、イギリス、フランス、ドイツといった大国の中でも、オランダは独特の輝きを放ち、存在感は少しも色あせない。
ドイツと、この魅力溢れるオランダの首都Amsterdamを結ぶ鉄道は極めて重要であることは言うまでもない。戦前の豪華列車Rheingoldは、戦後TEEとして蘇り、1987年まで運転された。Rheingoldが廃止された後も、SBBのパノラマ客車を連結したECが活躍したが、2001年ついに高速化の波が押し寄せた。
2000年11月、登場したばかりのICE 3MによりKoeln - AmsterdamでICE Internationalの運転が開始された。2002年11月にはNBS Koeln-Rhein/Main開業に伴い、Frankfurt(M) - Amsterdamの運転となった。現在は1日7往復のICE Internationalが設定され、両都市間を約4時間で結んでいる。(1往復はBasel - Frankfurt(M) Flughafen - Amsterdam)

ベネルクスの雄ThalysとKoeln Hbfで並ぶICE 3M
車両はDBとNSが所有するICE 3M、406形が使用される。DB所有の7編成(Tz 4601-4604 / 4607 / 4610-4611)、NS所有の4編成(Tz 4651-4654)である。NSの車両は、"NS"または"NS Hispeed"のロゴが入れられ区別できるが、車内は全く同じである。運用も全く区別されず共通で、DB編成かNS編成のどちらが来るかは運次第である。Frankfurt(M) - BruesselのICE International 3往復も一連の運用に組み込まれており、NS編成もBruesselに乗り入れている。

Duesseldorf近郊を走るNS編成
ICE Internationalには何度か乗車した。2005年3月にFrankfurt(M)→Amsterdam、Amsterdam→Koeln、2007年9月にはFrankfurt(M) → Duisburg、Duesseldorf→Koeln。車内に置かれた"Ihr Reiseplan"にはオランダ語が添えられ、DBロゴと共にNSロゴが入れられている。Frankfurt(M)発の列車に乗ると、他の列車ならKoelnの先は乗客が減る一方なのに、ICE Internationalはルール地方からオランダへ向かう乗客が乗ってくるし、車内もドイツ以外の言葉が目立ち、車内放送もドイツ語と英語で行われるなど、独特の雰囲気がある。

Amsterdamに到着したICE 3M
2005年3月にFrankfurt(M)→AmsterdamをICE 124で乗り通した際には、国境付近での電気方式の切り替えが上手くいかず、結局1時間も遅れてしまった。その帰りに乗車した際も、Koelnに着く頃には30分も遅延。
残念ながら問題がないわけではないが、少々の遅れが発生してもICE Internationalに長く乗ることが出来る、と喜ぶくらいの大きな気持ちで是非ICE International旅を楽しんで頂きたい。
なお、DBもICE Inrernationalを積極的にPRしており、割引運賃を設定している。
http://www.bahn.de/p/view/preise/international/zuege/ice_holland_angebot.shtml
今日11日は仕事を早めに切り上げて、サントリーホールに行われるヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートへ行く。ロイヤル・コンセルトヘボウといえば、Amsterdamを本拠とする名門オーケストラ、久しぶりにオランダの空気を感じたいものである。
ドイツと、この魅力溢れるオランダの首都Amsterdamを結ぶ鉄道は極めて重要であることは言うまでもない。戦前の豪華列車Rheingoldは、戦後TEEとして蘇り、1987年まで運転された。Rheingoldが廃止された後も、SBBのパノラマ客車を連結したECが活躍したが、2001年ついに高速化の波が押し寄せた。
2000年11月、登場したばかりのICE 3MによりKoeln - AmsterdamでICE Internationalの運転が開始された。2002年11月にはNBS Koeln-Rhein/Main開業に伴い、Frankfurt(M) - Amsterdamの運転となった。現在は1日7往復のICE Internationalが設定され、両都市間を約4時間で結んでいる。(1往復はBasel - Frankfurt(M) Flughafen - Amsterdam)

ベネルクスの雄ThalysとKoeln Hbfで並ぶICE 3M
車両はDBとNSが所有するICE 3M、406形が使用される。DB所有の7編成(Tz 4601-4604 / 4607 / 4610-4611)、NS所有の4編成(Tz 4651-4654)である。NSの車両は、"NS"または"NS Hispeed"のロゴが入れられ区別できるが、車内は全く同じである。運用も全く区別されず共通で、DB編成かNS編成のどちらが来るかは運次第である。Frankfurt(M) - BruesselのICE International 3往復も一連の運用に組み込まれており、NS編成もBruesselに乗り入れている。

Duesseldorf近郊を走るNS編成
ICE Internationalには何度か乗車した。2005年3月にFrankfurt(M)→Amsterdam、Amsterdam→Koeln、2007年9月にはFrankfurt(M) → Duisburg、Duesseldorf→Koeln。車内に置かれた"Ihr Reiseplan"にはオランダ語が添えられ、DBロゴと共にNSロゴが入れられている。Frankfurt(M)発の列車に乗ると、他の列車ならKoelnの先は乗客が減る一方なのに、ICE Internationalはルール地方からオランダへ向かう乗客が乗ってくるし、車内もドイツ以外の言葉が目立ち、車内放送もドイツ語と英語で行われるなど、独特の雰囲気がある。

Amsterdamに到着したICE 3M
2005年3月にFrankfurt(M)→AmsterdamをICE 124で乗り通した際には、国境付近での電気方式の切り替えが上手くいかず、結局1時間も遅れてしまった。その帰りに乗車した際も、Koelnに着く頃には30分も遅延。
残念ながら問題がないわけではないが、少々の遅れが発生してもICE Internationalに長く乗ることが出来る、と喜ぶくらいの大きな気持ちで是非ICE International旅を楽しんで頂きたい。
なお、DBもICE Inrernationalを積極的にPRしており、割引運賃を設定している。
http://www.bahn.de/p/view/preise/international/zuege/ice_holland_angebot.shtml
今日11日は仕事を早めに切り上げて、サントリーホールに行われるヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートへ行く。ロイヤル・コンセルトヘボウといえば、Amsterdamを本拠とする名門オーケストラ、久しぶりにオランダの空気を感じたいものである。







